砂の缶詰め

ジャリジャリジャリジャリおえっ

いいもの

学んでいる学問の都合上、丁寧に物を作ることについてよくよく考える機会がある

人の表現や感情の方面ってどうしても言葉にできないものがたくさんある、と勉強をすればするほど感じる

やり方の話をするのは簡単だ

体や道具の動かしかたの手順を言葉にするだけだから

でも人の手業でできるいいものってそれだけでは作れない

漠然とした安い言葉になってしまうけど「熱意のこもった」「丁寧な」という言葉を当てはめるしかないような、細やかな意識がいいものには存在していると感じる

そしてその丁寧とか熱意というのはただ長い時間をかけてるとか猪突猛進の情熱ではない

うまくいえないけど冷静だったり、適格だったりする必要がある

そして作られるいいものの種類は違えど、込められた丁寧の中にある肝心な言葉にしがたい意識には、共通する要素があると思う

いいものを作ってる人たちにその意識や感覚を言葉にしてもらったとしても、ひとりひとりで違った表現になると思うし意味のバランスが微妙すぎてたぶん他人には理解できない

いいものを作るにはやはりそれを自分で意識していくしかなく、ひたむきに、しかし冷静に物事に取り組むしか方法がないと思ってる

なんのこっちゃ

自分が物を作るときこういうことを意識したいと思った